2つ目のナイチンゲール [看護おぼえがき]
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まずは大阪から語りたい。
のちのち、川西のナイチンゲール像について、どんな人が建てただろうという疑問が生じる事と思う。
そのことは、直截には語れない。
これから回りくどくて長ったらしいと感じる項がある。
たいていは、語れぬことの代わりに事実を並べて示し出そうと、試みていると思っていただきたい。
さて、国道2号から始めようと思う。
どうせなら国道2号の起点である大阪府大阪市北区梅田1丁目がいい。
国道2号は、大阪府大阪市北区から福岡県北九州市門司区老松町3番1へ至る一般国道である。
ちなみに東京都中央区日本橋から始まる国道1号は、ここ大阪府大阪市北区梅田新道交差点で終わる。
本州と九州との間は関門トンネルによって繋がる。
兵庫県から山口県にかけての大半の区間で山陽自動車道と並走しており、山陽道や西国街道を併せた旧山陽道ほぼ踏襲している。
大阪・神戸区間の、国道43号を第二阪神国道と呼び、国道2号は第一阪神国道と呼ばれてきた。
しかし、近年は国道2号を「にこく」と呼ぶことも多く、地元での呼称はやや混乱している。
余談ながら、旧山陽道の原型は古代からあったが、本来、旧山陽道=西国街道は京都を起点とし、大坂を経由せずに神戸に直接向かっていたらしい。
この道路元票から国道176号も始まっている。
ここから大阪府下の大阪市、豊中市、池田市を経て、兵庫県川西市へ向かうことになる。
大阪とは、大阪府大阪市を中心とする経済地域で、大阪市と周辺の衛星都市とをまとめて指す呼び名である。
中心部の大阪市のほか、東大阪市・門真市・守口市がある。
一方で、京都市・大阪市・神戸市の3市を中心とした近畿地方の主要部を指す地域名称を京阪神という。
大阪という地名は全国にあるが、もっとも近畿地方のものが有名といえる。
広い意味では、大阪市を中心とする畿内、大阪都市圏、関西圏などを含めた京阪神のことを漠然と大阪と総称しているようだ。
大阪は、関西地区の経済・文化の中心地で、古くは「大坂」と表記した。
関東震災の直後から昭和10年代の戦時統制までの間、大阪市は日本最大の都市であり、かつ世界第6位であった。
戦時統制下、中枢を東京に集めたため、相対的に地位は低下したが、それまで文化・芸術・教育・産業で重要な役割を担っていてた。
第二次世界大戦以降の大阪は、重化学工業の比重が高まった。
今日の大阪も、阪神工業地帯の中核として役目を担っている。
卸売業を中心とした商業活動も活発である。
たとえば、道修町(薬種)、松屋町(玩具)、本町(繊維)など市内各所に問屋街が発達している。
また、中之島や北浜界隈には、金融街が形成されている。
中之島の大阪市役所から大坂城にかけての地域には、官公庁や公的機関が数多く立地している。
市内経済総生産は約22兆円に達し、近畿経済圏の中心地である。
2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、世界第47位の世界都市に選ばれており国内2位である。
また2011年3月、英国のシンクタンクにより、世界第31位の金融センターと評価されている。
地理的には、淀川の河口に開けた古くからの港湾都市である。
市域の西部は大阪湾に面し、沿岸北西部にかけて阪神工業地帯が広がっている。
大阪は、瀬戸内海と京都をつなぐ水運の要を担い、西日本の物流の中心として栄えてきた都市といえる。
気候は、大阪市を含め府内全域が瀬戸内海式気候に属し、年間を通して温暖である。
夏の暑さは全国的に見ても厳しく、35℃以上の猛暑日になることや熱帯夜が続くことが多い。
冬から春にかけては、中国大陸から流入する黄砂がよくみられる。
降雪日数は同緯度地帯では平均的であるが、1センチ以上の積雪日数は本土で最も少く、降雪に弱い都市といえる。
また、瀬戸内海からの季節風の影響からか、小雨やみぞれが降る日もある。
東京に比べて日照時間はやや少なく、すっきりとした快晴の日も少ない。
しかしながら、晴天日数としては冬でも比較的多いといえる。
また、強い寒波が来ると氷点下まで下がることもある。
積雪も一冬に1~2回程度は起こるが、関東地方とは異なり南岸低気圧による大雪は非常に少ない。
また冬型による降雪も積雪には至らない小規模なケースがほとんどどである。
大阪にとって大阪弁は最大の特徴として語られることが多い。
とはいえ、美しい船場言葉など絶えて聞くことができなくなってしまった。
関西出身者の多くは大阪弁に対して良い印象を語るが、他県の人々はそうでもないようだ。
関西外の人々は、たいていの場合、大阪弁でそれと知れる大阪人が一段も二段も低く見えるらしい。
私は他県人だが、関西で長く過ごしたため、どちらにも与しない。
正直言ってどうでもよいなあ、と思うくらいだ。
そんな私でも、大阪人へ、あえなき言動をする人物には辟易とする思いになる。
ついでながら、辟易とは「へきえき」と読む。
閉口する、うんざりするの意である。
司馬遷の『史記』(紀元前一世紀)に出てくる表現で、「辟」は「避ける」、「易」は「かえる」の意である。
「辟易」の形で「道を避けて場所をかえる」というのが本来の意味であった。
それが転じて「相手を恐れて逃げる」となり、日本でも長い間「逃げる、たじろぐ」として使ってきた。
近世後代になって、相手に対して何もできない状態を表すところから「閉口する」の意味へと転じた。
この1年の間で、私が最も辟易しているのは、勤め先の上司である。
いずれ看護部長になるようなエライヒトで、本屋の端末でコノ名を検索すれば著作が出てくる。
このヒトは、大阪への嘲笑や軽蔑を隠さないから、面倒くさくて始末に負えない。
なんとも困ったオトナだ。
部下が同じことをしたら、品がないし無用の敵を作るからやめとけ、と注意しそうなんだがなあ…
こんなことが続くわけもないから、イズレタカコロビニコロンデアオノケニタヲレルのに違いない。
やれやれ。
近世までの日本史に、近畿地方は深く関わっている。
大阪もまた、政治史や経済史をはじめ人文歴史の厚みを持つ地域だ。
それゆえ宗教施設は多い。
たとえば、飛鳥時代以前から、お寺の原型といえる建築物が多くあった。
その後も時代の要請に従うように幾千の神社や仏教寺が建立された。
明治以後は、キリスト教の教義を盗み食いした、あざといばかりの信教も雨後のタケノコのごとく増えた。
しかしながらというべきかもしれないが、むろん陰徳積善の者もいたことだろう。
中山通幽〔1862年(文久2年)~1936年(昭和11年)〕の福田海も明治33年頃に大阪で開宗した宗教法人である。
川西のナイチンゲール像は、中山が建てた。
晩年ともいえる時期に入院した大坂日赤病院の献身的な看護に感激し、感謝を後世に残そうと建立したという。
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