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テーブルトークのRPG [わたしの楽しみ]

   

テーブルトーク・ロールプレイングゲーム


イコロと、紙と、鉛筆と、身ひとつ があれば、RPGは遊べる。
日本では、便宜上RPGをTRPGと呼ばざるをえない。
しかし、この項では、あえてRPGといいたい。
本来、RPGはコンピューターなんか介さずに遊ぶ楽しいゲームだ。
それ以上でも以下でもない。

RPGは、2人以上の複数で遊ぶゲームである。
なぜなら、ひとりでは味気ない。
会話を交わし、互いの間で生まれる空想を楽む、いわば知的ゲームだからだ。
人と人が集まって、わいわいとやるのがいいに決まっている。

わいわいと空想するためには媒介がいる。
媒介として、規則が用意された。
わざわざ、言葉を代えなくてもよさそうだが、ルールのことである。

ひとつのルールを全員で共有して、諸条件を平等にする。
でありながら、諸判定にはサイコロを用いる。
そうする事で、判定に偶然性を持たすことができる。
偶然はゲームの醍醐味であり、本質そのものといえよう。


加者は、ゲームマスターとプレイヤーに分かれて遊ぶこととなる。

ゲームマスターをGM(ジーエム)と呼ぶことが多い。
ゲームによって、マスターといったり、ダンジョンマスター(DM)とかレフリーとか様々である。
まあ、たいていはGMで通るといっていい。
GMはシナリオを作り、ゲームの進行と判定を行い、結果を宣言する役として遊ぶ。
面倒くさい役だと思うなかれ。これが、かなり楽しめるのである。

もう一方をプレイヤーという。PL(ピーエル)と略して記すこともある。
GMの作ったシナリオに参加して遊ぶ。
PLは、GMの紡ぐストーリーの中を自由に行動し、思うままに判断して遊ぶ役である。
PLは、ゲームで遊ぶために登場人物を作る。これをキャラクターという。
キャラクターはPC(ピーシー)記す。

PC以外の登場人物もいる。
むしろ、たくさんいるといっていい。
これらGMが登場させる脇役を、ノンプレイヤーキャラクターという。
NPCと書き、エヌピーシーと読む。

GMが用意した物語へ、PLはPCとして参加し、仮想体験としての偶然と必然を楽しむ。
GMとPCが、共同でストーリーを完成させるゲームである。
であればこそ、友だちと遊ぶという楽しみを充分に味わうことができるのである。


RPGは、1974年にアメリカで産声をあげた。
それが、かの『D&D』である。
むろん、その時はまだ機械で遊ぶゲームではなかった。
1980年以降になり、RPGは、初期のパソコンなどで遊ぶコンピュータ・ゲームとなった。
余談だが、このApple Computerという名機で生まれたのが『ウィザードリィ』である。

手段の是非は措いといて、冒険が待っている。





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